続きです。
1945年の春には連合軍の目標であったKDF wagenのファクトリーの3/4が破壊されることになります。
そしてこの数ヶ月後、まずはアメリカ軍が占領、約2ヶ月後には工場の責任をイギリス軍がまかせられる事になります。
この際、KDF wagen市の工場近隣にあったオオカミの城を意味するというお城から名前を拝借しKDF wagen市からWolfsburgに変更されます。
さらにヒトラーが命名した国民車の名前はポルシェ博士も気に入っていなかったとされていますが、国民車の名称KDF wagen/Type60をVolks wagen/Type1に変更します。
こうして戦後は本来の目的だった国民車Type60をType1として国民のために生産していく事になります。さらにDAFの中のKDFが果たせなかった積立金制度による納車もVolkswagenが変わって果たしていくことになります。
連合軍の中のイギリスは戦時中からこのドイツの車を意識していたとされますが、そのイギリスはKDF wagenの軍用車シリーズも残っていたスペアパーツ等を集めて生産させます。
Type82はType21として生産。
さらにType82のシャーシにType60のボディーが搭載されたType82eをType51として生産。
Type82は4×2でリアにリダクションギアを装着し、トルクと地上高を確保した悪路でも走行可能な車輛でしたが、さらに走破性を高めて4×4化された車輛Type87はイギリス流に少し手を加えて生産。
Type87の4×4に加えて水陸両用車として生産されたType166も戦時中に生産していたファクトリーから部品を探し出してイギリスに持ち帰り生産。
余談ですがType87やType166等を見比べて行くとタイヤの太さの違いが目立ちます。これは本来は太いタイヤが備わるように設計されているのですが、戦時中の資源不足による問題等から細いタイヤが多く配給されたためにそのような違いが生じたようです。
そうなるとWW2の開戦間もない頃に生産されたモデルは太いタイヤ、以降に生産されたものは細いタイヤを履くという拘りを持って装着されてる方もいらっしゃると言う事ですね♪
戦後KDF wagenシリーズはイギリスの専門家によって技術等を含めて徹底的に調査されますが、技術もデザインも何も魅力がないとされイギリスに吸収される事にはなりませんでした。
続く