(画像 NSU RO80)
間もなく日本にやってくる日本最古の水冷VW K70L♪
K70の事を簡単に紹介します。
マツダが成功させたロータリーエンジンに取り組んでいたドイツのNSU社の話しから始まります。当時、NSU社が大きな賭けとしていた一台がロータリエンジンを搭載したRO80。
このRO80をバックアップする形でロータリーエンジンではなくレシプロエンジン=ピストンエンジンをNSUが企画します。
ドイツ語でピストンを意味するKOLBENのKに70馬力だよって事でK70。
1969年にはNSU K70としてデビューする予定で、プレスリリースも行っていたのですが、直前になってVWに吸収され販売中止となります。
空冷VWの話しに戻りますが、1968,69,70年のVW社のイメージってどんな印象でしょうか?自分は絶好調に売れてる印象を受けます。が、実はこの3年は急速に経営状況が悪化してるのが事実です。
その理由とされてるのが、上級グレードへの展開として生産されたType3とType4の評判が今ひとつだった事にあるとされています。単一車種の長期量産をポリシーとしたVWに大きな転換が求められていたとされています。
そのため、VWはポルシェと共同開発した水冷リアエンジンのP266を上級グレードとして販売しようと、工場を新設するものの不発に終わります。
転換を求められていたVWは空冷リアエンジンとは対照的な水冷フロントエンジンのNSU K70を再開発しP266の生産予定だった工場でK70を生産し販売する事になります。
もう1つ面白い話しがあるので紹介します。
ポルシェ博士によって設計された空冷VWですが、1969年頃は生産、販売共に微増を続けていたにも関わらず経営状況が悪化した理由の1つとして、空冷VWが一台売れるたびにポルシェにお金を払っていたという話しがあります。
VWの経営陣としては売っても売っても経営状況が悪化するこの状態に疑問を持つ方がいらした事でしょう。
転換を求めていたVWとしては再度ポルシェの設計によって上級グレードの確立を図ったと思われますが、、、それでは売っても売っても経営状況の変化がないのでは?って事に気が付いた人がP266の話しを不発にして、傘下になったNSUが開発したK70に目を向けたのではないでしょうか?こうしてVW社がVW社としてあるための一歩としてVW K70がデビューすることになったと言うお話です。
以降、ポルシェの経営状況が悪化し、VWの経営状況は改善されます。
1970年は技術的にもノウハウも確かだったポルシェの設計を断って、VWが出来る事で勝負にでた重要な年ですね♪