先日紹介した6台目にあたるVW38の最初の所有者を調べてみたら凄い方が所有者でした。6台目の所有者の名前にはなんとロベルト・ライとありました。
彼はWW1にて志願兵として戦場に出ますが終戦後にフランスの捕虜となりますが、釈放後に書いた論文で博士号を獲得します。
Prototype History6にも少し書きましたが1920年にヒトラーが改名した国家社会主義労働者党の通称名をナチ党と呼びました。この党に1924年ロベルト・ライ氏も入党しナチスとなります。
1923年には首謀者ヒトラーがミュンヘン一揆を起こすのですが、それが鎮圧されたタイミングでの入党となります。このタイミングに関してですが、ミュンヘン一揆が鎮圧された後、ヒトラーは逮捕され裁判が行われます。ヒトラーは特徴的な話し方の人物とありますが、この裁判でも自ら答弁を行い無罪判決となり釈放。釈放後、ヒトラーは偽装の政党を立ち上げ議席を伸ばしていくことになるのですが、まさにこのタイミングでの入党でした。
DAF
KDF
以降、国家社会主義ドイツ労働者党=ナチ党は劇的に党員を増やし成長していくのですが、同時に多くの労働組合を解散に追い込みつぶしていきます。
この際、新たな組合を組織したり、反対勢力にならないように、1933年にナチ党が組織したのがドイツ労働戦線、通称DAFになります。
このDAFの指導者に選ばれたのがロベルト・ライでした。
DAFが組織されて以降、ロベルト・ライは理念や国の中での位置づけを明白にしようと働きかけますが明確な答えを得れないまま巨大な組織へと成長しナチ党の数倍に及ぶ財政を持つまでに成長していきます。Prototype History8にありましたが、DAFの組織の1つとしてあった歓喜力行団/KDFが、労働者の人気を集めドイツ最大の組織へと成長します。
DAF国家と呼ばれる程の組織になり国民車計画もDAFの直属の国家組織となるほどでした。
また、DAFのロゴの特徴がハーゲンクロイツの外に描かれる歯車ですが、1939年までに使用されたロゴもKDFのロゴを元に作られました。
1939年以降から終戦までに使用されたロゴにも歯車が描かれていました。