2013-09-22 23:18:47
Prototype History 3
昨日の続き。
いつも話しが脱線して中々進まないのですが、改めて歴史を振り返る機会ってのがあってもいいですね♪
実績を積んだ自動車メーカーに国民車構想の話しが来ないで駆け出しのポルシェ博士に依頼したとなると面白くないのは、ドイツを代表とする自動車メーカーで構成されるドイツ自動車工業連盟(RDA)ですが、その一例としてはOPELが有名です。
では何をしたのか?
勝手に国民車の開発を進めて1937年のベルリンモーターショーにてそれを発表し、ヒトラーにどうですかと声を掛けてしまった事です。ところがヒトラーは激怒し無言でその場を後にしてしまったとの事。
この事がのちのVW社設立のポイントかと思います!が後ほど。
しかし、後の第二次世界大戦中にドイツ軍が活用した多くのトラックがOPEL社のトラックになります。
ミシンの製造から始まり自動車を生産するまでになったOPEL。
この時代のドイツで最も大きな自動車メーカーとされていましたが、その背景にはGMがOPELを子会社化した事が大きいのかと思います。ちょうどポルシェ設計事務所設立と同一年位のお話です。
その当時の販売台数ランキングを調べてみました。
1位、OPEL (GM)
2位、Auto Union(AUDI)
3位、FORD
さらにこの時代、自動車を大量に生産可能な工場を完備していたのはOPELとFORDだったとあります。
特に活躍したとされる一台がOPEL BLITSで、ドイツ語で稲妻の意味。フロントグリルに稲妻をイメージしたエンブレムが備わっていますが、英語に訳した1つにドイツ軍によるロンドンの大空爆を意味するものもあります。
戦時中はGMによる供給のコントロールもあったとされるOPELですが、色々と大変だったのではないかと思います。
多くの資料でもヒトラーの記憶力の高さと頭の良さは特化してるとありますが、どんなかたちであれ偉人とは何か特化したものを持ってるのかなと。
この時代にヒトラーは改装と改善を繰り返しモデルチェンジが行われている自動車は互換性がなく多くのスペアパーツが必要となるため疑問を抱いていたとあります。
そのためRDAに対して自動車のモデルを小数限定にする制限をするべきだと考えています。また、エンジンに対しても独自の理想を抱いており、一種類のエンジンで様々な用途に使用出来る、空冷式で分解や組み立てが容易で単純である事としています。
この時、ヒトラーの描いていた考えは後の空冷VWの本質にリンクするものがあると思いませんか??
ポルシェ博士の息子はヒトラーの思想は同意出来るものでなかったとしていますが、ヒトラーだけは一切傲慢な態度はとらなかったとあります。
事実、ヒトラーは勉強家で技術的にも細部に関する非常に的を射た質問をポルシェ博士に投げかけていたようです。ヒトラーは本気で国民車構想に取り組み誰よりもその事を理解していたからこそのやりとりがそこにあったと。
続く