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Prototype History 23
1949 export.jpg
続きです。
1948年にドイツ人の元に戻って来たVW社はPrototype History 3で少しふれたミシン屋から始まったOPEL社の元取締役だったハインリッヒ・ノルトホフ博士が就任する事で劇的に変化していきます。本来は航空機エンジンの設計者として活躍していたので博士と呼んでみました。
就任後、まず始めにポルシェ博士によって設計されたType1を徹底的に分解、組付けを繰り返しながら徹底的なテストを行いました。この際に行ったテストはイギリス以上だったと思われます。この結果としてポルシェ博士の設計したVWに驚かされる事になると同時にVWを社長自ら徹底的に把握することになります。

Heinz-Heinrich-Nordhoff.jpg

wolfsburg factory.jpg 1951 wolfsburg.jpg
個人的にノルトホフ氏がVWを劇的に変化させた大きな要素は2つあると考えています。
1つはイギリス管理下の厳しい条件のもとで生産されていた工場にくまなく頻繁に足を運び、数多くある問題を改善し続け生産制を向上させたこと。
とは言ってもそもそもヒトラーが計画していたヨーロッパ最大の自動車工場としての基盤が大きい。
2つめはドイツ人のための国民車として存在していたVWを外国に輸出させたこと。特に自動車大国アメリカへの輸出。
厳密には就任前の1947年にオランダに初めて輸出することから始まり、欧州各国に輸出しています。1948年にはWolfsburg工場の年間生産台数の2割にあたる約5,000台近いVWが輸出されていました。この輸出によって得た外貨でVW社の成長が加速する事になります。
(1960年までは国営ですが、、、)

ship to US.jpg
そして1949年にオランダ人の手によってアメリカに2台のVWが正式に輸出されます。スタンダードとエクスポートモデルと呼ばれるデラックスバージョンでした。
アメリカにスタンダードのType1はないと思っていたのですが正式な一台として1949年がある事になります。

VW-1949-Life.jpg
翌年の1950年には約150台
1951年には約400台
1952年には約600台
1953年には約1,000台のVWが売れます。

VW-1955-one-million.jpg
後ろの窓がオーバル形状になって1954年に約6,500台
1955年には大幅に増え約30,000台
1956年には約50,000台
1957年には65,000台
そして後ろの窓がスクエア形状になった1958年に80,000台が売れました。

こうしてノルトホフ社長の目標だったアメリカでの販売は大成功をおさめることになるのですが、驚くべき事に1949年から1958年までの間、ノルトホフ社長は一切広告を出していないのです。よって1958年までは高い評価の口コミによって全米でVWを購入していた事になります。
よって自分の58年もその高い評判によって購入した一台になります。
こうしてVWはアメリカで認められると同時に世界で認められるVWになり、以降成長し続ける事になります。

終わり。


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